どちらも満ちることのない深遠な哲学とあからさまな欲望。
生まれた時から死に向かう時間の流れに身を委ねず、永遠を夢見て増大するエントロピーに抗う術を手に
いれる。
永遠、そして循環という考え方の先にあるもう一つの魂の行方。
天体の動き、胎児の呼吸や房中術、あるいは尸解といった方法で不老長寿を目指した、かつての道士の時代
を過ぎて、今、台湾で感じたのは、運命というものは自分の祈りと努力で手に入れるものだという生命のエ
ネルギー。
欲望とも言えるその思いの源流にあるのは、理想郷の世界ではなく現実の世界としての神仙思想。

それは寺院での途方もない祈りの熱量。
運や福というものはただランダムに降り注いでくるものなのか。
その思いを引き寄せるために願いを込める。天を焦がすほどの爆炎と粉塵に、あるいは風の入り込まないはずの部屋でなびく煙に。

ミクロとマクロ。世界はサイズを変えたとしても、いわゆる気の世界では世界と自分自身は差異はない。
陰陽五行に照らし合わせ、己を知ることは、あるいは世界を知ることにも通じるのかもしれません。

すなわち、命尽きた後の世界もまた陽に対する陰という側面の一つでしかないのか。
地位や名誉、富など死ねば虚無などとそこに無情を感じることはない。
今を生きる仙人の末裔にとって、営みが循環して続くのなら、神々への祈りは投資に近い思いなのかもしれません。

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